RETURN OF PRODIGAL SON

 こうして語り手は、スワン家を訪ねることができるようになる。憧れていたおとぎの国の門が開かれて、彼はジルベルトのお茶の会に出ることが許されたのだが、それだけではなくて、聖域のもっと深い核心に、つまりスワン夫妻の居室や書斎にも、ときには通されるようになる。
 語り手の目には輝かしい神秘に満ちているように見えても、スワンはオデットとの結婚以来、社交的には凋落しており、以前なら見向きもしないような人とのつきあいをありがたがっている。以前の一流社交界の人たちを訪ねることもないではないが、外側から、美術品か骨董でも鑑賞するように、彼らを眺めているのである。
 ときには、スワン夫人がピアノの前に坐って、ヴァントゥイユのソナタを弾くこともあった。また、語り手もスワン一家といっしょに音楽会に行ったり、ブーローニュの森の中の遊園地に散歩に行くときもあった。しかし、そうした楽しみ以上に語り手を喜ばせたのは、憧れていた作家ベルゴットを招いた昼食会に加えられたことである。著者と実際に会った作者とは違った印象を与えて、幻滅を誘うが、ベルゴットの方は語り手が「知性の快楽」を知っているように思うと言って、彼を評価する。
 そのころ、語り手は年長の友人ブロックに連れられて娼家におもむいたことがある。そこでちらと見かけたユダヤ女ラシェルに、語り手はフロマンタル・アレヴィのオペラ『ユダヤ女』の有名なアリアから借用して、「ラシェルよ、神の」とあだ名をつけるが、この女性は後に作品のなかで重要な役を果たすことになる。
 このような、ジルベルトとの甘いつきあいにも、変化が生じる。それは思いがけないところからやってくるのである。

仲違い
 こうしてスワン家の人たちからも両親からも、つまりそれぞれ違った時期にこの交際を邪魔すべきだと思ったらしいこれらの人たちのどちらからも、私の甘い生活に対して、もうなんの妨害も行われず、私は思いのままにジルベルトに会ってうっとりと彼女を眺めることができたが、しかし心の平静は得られなかった。もともと恋に心の平静などあろうはずがない。なぜなら人が手に入れたものは、さらにそれ以上のものを欲するための新たな出発点以外の何物でもないからである。まだジルベルトの家に行かないころの私は、この近寄りがたい幸福にじっと目をすえたまま、ジルベルトの家で新たな苦しみの原因が待ちうけていようなどとは想像することもできなかった。ひとたび彼女の両親の抵抗が打ち破られれ、ことはようやく解決したと思ったのに、問題はまたしても毎回異なった形で起こってくるのだった。その意味で、毎日はまさしく新たな友情の始まりであった。毎晩帰宅するたびに、私は二人の友情を左右する重大なことをジルベルトに言わねばならないと思うのだったが、その言うべき事柄はけっして同じであったためしがなかった。それでも私はまあまあ幸せであり、幸福を妨げるどんな脅威ももはや起こってはいなかった。ああ! その脅威は、危険などこれっぱかりも認められなかった方角から、すなわちジルベルトと私自身とからやって来ることになるのである。私を安心させていたもの、私がこれこそ幸福と思いこんでいたものを、かえって逆に気に病むことが必要だったのであろう。恋をすると人は異常な状態に陥って、一見なんでもない始終起こりうる出来事にも、ただちにそれ自体が含んでいないような重大性を付与してしまうことがあるものだ。人をあれほど幸福な気持にさせるのは、心の中にある不安定なものの存在であり、人は常にそれを維持しようとするのであるが、そのくせこれが別な場所に移されてしまわないかぎりは、ほとんどその存在に気づかないものである。実を言えば、恋のなかにはたえず続いている苦悩があって、それは喜びによって中和され、潜在的なものとされ、延期されているけれども、たちまちおそろしいものになり変わることがあり、それこそ久しい以前から、欲しいものが得られなかった場合の苦悩が帯びる真の姿なのである。
 何度も私はジルベルトが、私の訪問の間隔をあかせようとしているのを感じた。ただし、もしなにがなんでもジルベルトに会いたかったら、彼女の両親に招待してもらえばよいのであった。彼らは、私がジルベルトによい影響を及ぼしているということを、ますます確信するようになっていたからである。彼らのおかげで、この恋にはなんの危険もない、と私は考えていた。彼らさえ味方につけておけば安心していられるはずだ、彼らはジルベルトに対して全面的な権威を持っているのだから、と。不幸にも、父親がいわば彼女の意に反して私を招くときに彼女の見せる苛立ちの表情を見て、私は考えたのである、私が幸福の後楯とみなしていたものは、実は逆に幸福をつづかなくさせるためのひそかな理由なのではなかろうか、と。
 最後にジルベルトに会いにいったときは、雨だった。彼女は他人の家でのダンスのレッスンに招かれており、その家の人びとをあまりよく知らないので、私を連れてゆくことができないという。私はその日湿気がひどいので、いつも以上にカフェインをのんで来ていた。おそらく天気が悪かったせいだろう、あるいはその集いを催す家に対して悪意を持っていたためかもしれない、スワン夫人は娘がいざ出かけようとするときに、「ジルベルト!」と、おそろしくきつい口調で彼女を呼び戻した。そして、私がわざわざ彼女に会いに来ているのだから、いっしょにいなければいけないということを示すために、こちらを指さした。この「ジルベルト」という名前が口にされた、というよりむしろ叫ばれたのは、私によかれと思う気持からであったが、ジルベルトがいったん身につけた外出の用意を脱ぎすてて肩をそびやかすのを見たときに、私は理解した、少しずつ私からこの女友だちを引き離してゆく事態の変化は、それ以前ならまだ停止させることも可能だったろうに、このとき彼女の母親が心ならずもその変化を促進させてしまったのだということを。「毎日ダンスに行く必要はありません」とオデットは娘に言ったが、そこにはおそらくかつてスワンから学んだにちがいない思慮深いところがあらわれていた。それからふたたびオデットらしさをとり戻して、彼女は娘に向かって英語で話しはじめた。するとたちまち、まるでジルベルトの生活の一部が壁で私の目から隠されてしまったか、意地の悪い妖精が女友だちを遠くの方へ連れていってしまったように思われた。知っている言語の場合なら、われわれは不透明な音を透明な思想にとりかえてこれを理解してきた。けれども知らない言語はまるで閉ざされた宮殿であって、愛する女がそのなかでわれわれを裏切っても、外部にいて自分の無力さに絶望的に苛立っているわれわれは、何も見ることができず、何も妨げることができないのである。こんなふうにして、この英語の会話も、もしひと月前であれば私の微笑を誘うばかりであったろうに、今ではそこに出てくるいくつかのフランス語の固有名詞が不安をいっそうかきたて、その不安に方向を与えずにはおかないのであって、私の目の前につっ立ったままの二人が交わす会話であるのに、まるで誘拐されたような残酷さを帯び、私をたったひとりそこに取り残したのであった。そのうちにスワン夫人はわれわれのそばから離れていった。その日、私は心ならずもジルベルトが遊びにゆけなくなる原因になったけれども、そのためにおそらく私を恨んでいたからであろうか、と同時に、彼女が怒っているのを見抜いた私がふだんよりもあらかじめ冷淡にしていたためもあるのだろうか、いっさいの喜びが消え失せてむき出しの荒んだ表情になったジルベルトの顔は、午後中ずっと、私がいるためにパ・ド・カトルを踊りにゆけなくなったことへのメランコリックな口惜しさを示しているように見え、私をはじめ他人にはだれ一人、彼女の気持をボストン・ワルツへと傾けさせる微妙な理由は分からないだろうとでも言いたげであった。彼女はときどき天気のことや、雨がまたはげしく降りはじめたこと、また振子時計が進んでいるといったことについて、私とごく短い言葉を交わすだけで、すぐに黙ってしまい、私自身も一種の腹立ちまぎれで、本来なら二人で友情と幸福にささげることもできた時間をみすみす台無しにしながら、強情にそれをやめようともしなかった。そして二人の交わすすべての言葉に一種この上もない険悪さを与えていたのは、その言葉が奇妙にも、極端に意味を欠いているということだったが、しかしおかげでジルベルトが私の意見のくだらなさや口調の気のなさを本物と信じこまずにすんでいるのだと思うと、むしろ私は心慰められるのであった。じっさい私が、「このあいだはむしろ時計が遅れていたような気がするんだけれど」と言っても、彼女はそう受けとってはくれないのであって、むろんこれを「なんてきみは意地悪なんだろう!」という意味に翻訳するのである。この雨降りの日に、私が一日中こうした晴れ間のない言葉をしきりに連ねてみてもどうしようもなかった。私には分かっていたのである、私の冷淡さは自分でそう見せようとしたほど決定的に凍りついてしまったものではなかったし、また、日が短くなったといった類のことを三度も繰り返した後に、思い切って四たびそれを口にしようものなら、私自身がこらえかねてわっと泣き出しかねないことを、ジルベルトははっきり感じていたはずなのである。こんなふうにして、かすかなほほえみすらも、彼女の目を満たしたり、顔を明るくしたりすることがないとき、その悲しげな目とふさぎきった顔立ちには、なんとも言えず重苦しい単調さが刻印されているのだった。ほとんど醜いとさえ言えるくらいになったその顔は、そんなとき、あの退屈な海辺にそっくりだった――そうした海辺では、遠くへ引いていった海が、不動の限られた水平線にとりかこまれた常に変わらぬ光の反射で人をぐったりさせているのである。とうとうしまいに、何時間も前から待ち望んでいた幸福な変化がジルベルトの側からは起こらないのを見てとった私は、彼女に向かって、きみはやさしくないね、と告げた。「やさしくないのはあんただわ」と彼女は答えた。「そんなことないよ!」私は自分が何をしたのだろうかと考えてみたが、何も思い当たることがなかったので、彼女自身にそれをたずねた。「むろんあなたは自分がやさしいと思ってるんでしょ!」と彼女は言いながら、いつまでも笑っていた。そのとき私は、彼女の笑いが表現しているその思考のもう一つの面、容易にとらえられないこの面に自分の手が届かないことを、ひどく苦痛に感じた。この笑いは、まるでこう言っているかのように見えたのである、「だめよ、だめよ。あなたが何を言ったって、その手には乗らないわ。あなたがわたしに夢中だってことは、ちゃんと分かってるのよ。でも、だからといって、わたしには痛くも痒くないわ。だって、あなたなんかどうでもいいんだもの」けれども私は、結局のところ笑いは意味のはっきりした言語ではないのだから、この笑いの意味を理解したなどと思いこむことはできないのだ、と自分に言いきかせた。それにジルベルトの言葉に険はなかったのである。「でも、どうしてぼくがやさしくないの?と私は彼女にたずねた、「言っておくれよ、ぼく、君の望む通りにしてみせるから」
――「だめよ、そうしたってなんの役にも立たないわ。うまく言えないけど」一瞬私は、自分が彼女のことを愛していないと思われているのではないかと心配になった。それは私にとって、別な苦しみだった。同じようにはげしいものだが、異なったやりとりを必要としている苦しみだった。「きみがぼくにどんな苦痛を与えているのか、それさえ分かったらきみも言ってくれるんだろうけれど」だがこの苦痛は、もしも彼女が私の愛情を疑っていたのであれば彼女を喜ばせたはずなのに、反対に苛立たせたのである。それで私は自分の間違いに気づき、もう彼女の言葉を気にすまいと心を決めて聞き流していると、彼女はこんなことを言うのであった、「わたし、本当にあなたのことが好きだったのよ。いつかあなたに分かる日が来るわ」(だがその日こそ自分たちの潔白が認められるはずだと罪人たちの断言する当日になると、理由は不可解だが、罪人たちに対していっこうに訊問の行われる気配がないものなのである)。そのとき私は不意に、もう二度と彼女には会うまいと思い切って決心をしたのだが、それをまだ彼女には言わずにおいた。たとえ言っても彼女は私の言葉を信じなかったであろうから。
 愛する人から起こされる苦しみは、たとえその人とかかわりのない気苦労や用事や喜びにわれわれの注意が惹きつけられていて、ときたまそのあいだにはさまれてこの苦しみを思い出すにすぎないときでも、やはりつらいものである。けれどもそのような苦しみが――ちょうど今の場合のように――その人を眺める幸福でわれわれが満たされきっているときに生じると、それまでは太陽をさんさんと浴び、一貫して静まり返っていたわれわれの魂が、とつぜん低気圧に見舞われ、それがわれわれの内部に荒れ狂う嵐を生じさせるために、われわれははたして最後までこの嵐と闘う力があるかどうかも分からないくらいである。私の心に吹きまくる嵐は実にはげしいものだったので、私はそれにもみくちゃにされながら、死んだようになって家に帰ったのであるが、息を吹き返すにはいま来た道をとって返して、何かの口実を設けてジルベルトのそばに戻るよりほかはないとさえ感じられた。だがそうしたら、彼女はきっと考えたことだろう、「またあいつだ! 本当にわたしがどんな仕打ちをしても、そのたんびにあいつったら、みじめな思いでわたしのそばを離れれば離れるほど、ますます尻尾を振って戻ってくるんだから」と。それでも思考は否応なしに私を彼女の方へと連れ戻すのであって、こうした交錯する方向と、内心の羅針盤の狂った動きとは、家に帰ってからもつづき、ジルベルトあてに書く何通もの矛盾した手紙の下書きによってあらわされるのであった。
 人生には、普通、人が何度も直面することになる困難な局面があって、人の性質や本性――われわれの恋を作りだし、またわれわれの愛する女たちや、彼女らの欠陥までをもほとんど作りだしてしまう本性――が変わったわけでもないのに、そのたびごとに、つまりさまざまな年齢において、人は異なった仕方でこの局面に向きあうのであるが、私はまさにそうした局面の一つを通過しようとしていた。そのようなとき、われわれの生活は分断され、いわば天秤の両方の皿に分配されて、そこにそっくりのせられてしまう。一方の皿には、まだ相手を理解するまでには至らないながらも、自分の愛している人物にきらわれたくない、あまり卑屈に見られたくない、という欲望があって、われわれはいくぶんその相手を放っておいた方が賢明だと考えるのである。そうすれば相手も、自分がわれわれにとってなくてはならない存在だという気持、われわれから心をそらせるそうした気持ちを、抱くことがないだろう。他方の皿には苦痛がある。それは単なる局部的で部分的な苦痛ではなく、その女に気に入られようとか、その女なしでも平気だと相手に信じこませようなどといったことをあきらめて、反対にただ彼女に会いに飛んでゆくのでなければ鎮められないものである。誇りがのっている方の皿から、ほんの少々の意志を、年をとるとともについすり減るままに任せてきた意志を、取り去ってみたまえ。また苦しみがのっている方の皿には、われわれがいつか身につけたばかりか、ますます悪化させてしまった肉体的苦痛をつけ加えてみたまえ。もしも二十歳のときなら、勇敢な解決の方が勝利を収めたと思われるのに、今は逆にもう一方の解決が優勢になり、それはぐっと重く皿の一方を沈ませて、われわれを五十歳にまで引き下げてしまうだろう。状況は同じことを繰り返しているようでも変化するものであり、人生のなかば、または終わりごろになると、ある種の習慣で恋愛を複雑化することにあやしげな自己満足を覚えるようにもなるだけに、なおさら秤は傾くのである。ところが若いころには、あまりに多くの別な義務に縛られていて自分自身からそれほど自由になっていないために、人はこうした習慣を知らないものなのだ。
 私はジルベルトに一通の手紙を書き、そのなかで怒りを炸裂させたが、それでも救命ブイとしてさりげなくいくつかの語を投げだしておき、彼女がそこに和解の手がかりをつかめるようにするのは忘れなかった。だがたちまちのうちに風向きが変わって、「けっしてもう二度と」といったようなある種の悲しい表現の持つ甘さに惹かれて、ついやさしい言葉を彼女にかけているのであった。しかしそうした表現は、それを使用する本人の胸には切々と迫るものだけれども、それを読む相手の女性にとっては、たとえ彼女がこれをでたらめだと思い、「けっしてもう二度と」を「もし私にお会いになりたければ今夜にでも」と解釈するにせよ、あるいはこれを真に受けて決定的な別れの言葉なのだと思い、男にとっては人生でのそうした別離も、たいして好きでない女が相手の場合はまったくどうでもよいものなのだと受けとるにせよ、実に白々しく見えるものなのである。けれどもわれわれが女を愛しているあいだには、遠からずやってくる自分、もはや愛のさめた未来の自分の存在にふさわしい先駆者として行動することなど不可能である以上、どうして一人の女の精神状態をくまなく想像することができようか? しかもたとえその女にとってわれわれなどどうでもよい存在であることを、こちらが充分承知していても、なおかつ美しい夢の揺籃で自分を楽しませたり、悲嘆にくれる自分を慰めたりするために、もし彼女がこちらのことを愛していたら口にしたろうと思われる言葉を夢想のなかでたえず彼女に言わせてきたような場合には? 好きな女の思考や行動を前にしたとき、われわれは自然現象を前にした最初の物理学者たち(まだ科学もできあがっておらず、その科学が未知のものに多少の光さえ投げかけていなかったころの物理学者たち)のように、途方に暮れてしまう。いやそれ以上で、まだ因果律のあることさえほとんど考えていないような人、一つの現象と他の現象のあいだの絆をうちたてることも出来ない人、目の前の世界の光景がまるで夢のように定まらないものに見える人、そんな人にそっくりでさえあるだろう。たしかに私はこの支離滅裂な状態を脱けだして、原因を見つけだそうとつとめていた。「客観的」でさえあろうとしていた。そしてそのために、私にとってのジルベルトの重みが、彼女にとって私の持っている重みと不釣合いであるだけではなく、私以外の人々にとって彼女の持つ重みとも、はなはだしく食い違っていることを、よくわきまえようとつとめた。その食い違いを忘れると、女友だちの単なる愛想のいい言葉を情熱的な告白ととりちがえたり、また自分の醜悪ないやしい行動を、あっさりした優雅な身のこなしと思いこみ、それが美しい目許にまで人を導いてくれると錯覚しかねないからである。けれども私はまた逆の極端に陥ることもおそれていた。そこへ落ちこめば、ジルベルトが待ち合わせの時間におくれてやって来たり、ちょっとした不機嫌な素振りを見せても、それをどうしようもない反感のあらわれと思ってしまうかもしれない。私は、いずれ劣らぬ真相をゆがめるこうした二様の見方のあいだで、事物の正確なヴィジョンを与えてくれる見方を発見しようと努力していた。そのために私がしなければならなかった計算は、いくぶん苦しみを紛らせてくれた。そしてその計算の答えの数値に従ったためか、あるいはその数値に自分の好き勝手な意味を与えたからか、私はその次の日にスワン家を訪れようと決心して、晴れ晴れとした気分になったのだが、それはまるで行きたくない旅行のために長いこと悩んでいた人たちが、駅まで行っただけで引き返し、自分の家に戻ってトランクをほどくようなものであった。そして、まだためらっているあいだでも、いずれ決心がつくかもしれないと思っただけで(絶対に決心しまいと腹を決めて、そうした考えを骨抜きにしてしまったのでないかぎりは)、まるで強靭な種子が蒔かれたように、行為がなしとげられたら生まれると思われる感動の輪郭や細部がわれわれの前に広がってゆくものであるから、私は自分に言いきかせたのであった、もう二度とジルベルトに会うまいなどと思って、その計画を実行しなければいけないかのように自分を苦しめたこのぼくは、なんてばかだったんだろう、結局は逆に彼女の家に引き返すことになったんだから、あんなにいろいろと心で考えたり、苦しいことを受け入れたりするのは、やめにしておけばよかったのだ、と。けれどもこの友情に満ちたつきあいも、スワン家まで行くあいだしかつづかなかった。私をとても可愛がってくれたスワン家の給仕頭から、ジルベルトは外出していると言われたためばかりでなく(じっさいその晩のうちに、彼女に会った人びとの口から、私はこれが本当だったことを知ったのであるが)、同時に彼の言い方にも原因があった。「お嬢さまはお出かけでございます。いいえ、けっして嘘ではございません。もしもムッシューがいろいろお聞きになりたければ、小間使いをお呼び申し上げてもようございます。ご存じのように、ムッシューのお喜びになることならなんでもいたしますし、もしお嬢さまがご在宅でしたら、すぐにもおそばにお連れするのでございますが」おのずと口をついて出てくるこうした無意識の言葉のみが
実は重要なのであって、そのような言葉は、慎重な言い方をすれば隠されてしまう思いがけない現実について、少なくともその大ざっぱな透視写真をわれわれに提供しており、ジルベルトをとりまく人たちは彼女が私をうるさがっているらしいと感じていることを証明しているのであった。だから給仕頭がこの言葉を口にしたとたんに、私の心にはすぐさま憎しみが湧いたのだが、その憎しみの対象に私はジルベルトではなくて給仕頭を選んでしまった。彼は、私が女友だちに抱くべき怒りの感情を、ことごとく一身に集めた。しかもあの言葉をきっかけにして私の怒りの感情がそらされたので、あとにはただ恋だけが残されたのである。けれども給仕頭の言葉は同時に、私が当分のあいだジルベルトに会おうとしてはならないことをも示していた。きっと彼女は私に手紙で詫びを言ってくるだろう。それでも私は、彼女なしでも過ごせることを証明するために、すぐには彼女に会いに引き返すまい。それにいったん彼女の手紙を受けとったら、しばらくはジルベルトとつきあうのを我慢するのも容易になるだろう。なぜなら、会いたいと思ったらすぐにでも彼女に会えることが確実になるからだ。あまり悲しむことなく意識的不在に堪えるために私に必要だったのは、二人が永久に仲違いしたのではないかとか、そうしたおそろしい不安が心から一掃されたと感じることだった。それにつづく日々は、以前にジルベルトなしで過ごさねばならなかったあの新年の一週間にそっくりだった。けれどもあのころは、一方ではこの一週間が終わると女友だちがまたシャンゼリゼに戻ってきて、従来どおり彼女に会えることがはっきりしていたし、また他方では同じようにはっきりと、新年の休暇のあいだはシャンゼリゼに行っても仕方ないことが分かっていたのである。したがって、遠い昔のことになったあのつらい一週間のあいだ、私は落ち着いて自分の悲しみに堪えることができたのであった。なぜならそこには、恐れも希望も混じってはいなかったからだ。ところが今では反対にこの希望が恐れと同じくらいに、私の苦痛を堪えられないものにしていたのである。その日の夕方までにジルベルトの手紙が来なかったので、彼女がうっかりしたのか、あるいは用事があったせいだろうと考えた私は、次の日の朝の配達のなかには彼女の手紙が見出されるだろうと信じこんで疑わなかった。毎日私は朝の郵便を胸をときめかせて待ち受けたが、ジルベルト以外の人からの手紙しか来ていないことが分かると、すっかり打ちひしがれてしまうのだった。あるいはだれからも来ないこともあったが、この方がまだましだった。別なだれかの友情のしるしは、ジルベルトの無関心のしるしをいっそう残酷なものにしたからである。それから私はふたたび午後の便に期待をかけはじめるのだった。配達時刻の合間でさえも、なかなか思い切って外出する気になれなかった。彼女が手紙を持たせてよこすかもしれなかったからである。ついでとうとう郵便配達もスワン家の従僕ももう来るはずがないという時刻になって、明日の朝こそきっと安心できるだろうと希望を翌日につながなければならなくなり、こうして私は、自分の苦痛がつづくはずはないと思っていたために、かえっていわばその苦痛をたえず新たにすることを余儀なくされるのであった。苦しみはおそらく昔と同じものだったのであろう。しかし以前のように、ただ最初に感じた悲しみを一様に持続させるだけではなくて、今の苦しみは一日に何度となくひんぴんと新たにされる悲しみから出直しているので、ついにその悲しみが――これは本来まったく肉体的で、瞬間的な状態なのだが――すっかり定着してしまった。その結果、期待によってもたらされる動揺が鎮まる余裕もないうちに新たな期待の理由があらわれるので、ついに私は一日に一分たりともこうした不安を免れるときがなくなってしまったが、その不安は実のところ一時間も堪えることの困難なものであった。こうして私の苦痛は、以前の元日のときに比べてはるかに残酷なものになった。なぜなら今では私の内部に、この苦痛を文字通りそのまま受け入れるのではなくて、今にもこれがやんでくれればとたえず願う気持が巣くっていたからである。けれども私は、とうとうしまいに、この苦痛を受け入れるようになった。そのとき私は、これこそ決定的なものにちがいないと悟るとともに、それきり永久にジルベルトをあきらめた。自分の恋にとってよかれと思ってのことだったが、またなによりもジルベルトの思い出のなかでいつまでも軽蔑の対象になって残されるのはやりきれなかったからだ。けれどもこのとき以来、一種の恋のうらみを抱いているなどと想像されては困るので、その後彼女が二人で会いたいと言ってくると、よく同意しておきながら、いざというときになって、まるで会いたくない人に対してするように、はなはだ残念だがと言いながらも、都合が悪くて行かれない旨の手紙を出すのであった。通常は感心のない相手に対してのみ用いられるこうした遺憾の表現の方が、好きな女に対したときだけわざとやってみせる無関心な口調よりも、ジルベルトに対していっそうはっきりと自分の無関心さを納得させるように思われたのである。言葉よりもむしろ無限に繰り返される行動によって、会う気のないことをはっきり証明してみせたなら、たぶん彼女の方では逆に私に会いたい気持をふたたび見出すのではなかろうか。ああ! しかしそれも無駄だろう。もう彼女と会わないくせに、私に会いたい気持を彼女の心に再燃させようというのは、永遠に彼女を失うことであった。まず第一に、その気持がふたたび彼女のうちに芽生えかけるとしても、もしそれがつづいてほしいと私が思うなら、ただちに彼女の気持に屈してはならないであろうから。それに、最も残酷な時間はもうそのときには過ぎ去っていることだろう。彼女が私にとって欠くことのできない存在であるのは、今なのだった。また、今この瞬間ならいざ知らず、やがてそのうちに再会しても、そのとき彼女が鎮めてくれるものはすでにまったく軽くなった苦悩にすぎず、わざわざそれに終止符を打つために屈服したり、和解したり、再会したりするまでもないものになっているだろうということを、あらかじめ彼女に告げておいてやりたかった。さらにまた、後になって私に対するジルベルトの感情がふたたびはげしくなって、とうとう彼女に対する気持を打ち明けても大丈夫になったとき、その気持はかくも長い不在に抗しきれなくて、もはや跡かたもなくなっているだろう。ジルベルトはもうどうでもよいものになっているだろう。それが私には分かっていた。けれどもそれを彼女に言うことはできなかった。もしあまり長いこと会わずにいると彼女への愛も消えてしまうだろうと告げれば、彼女はきっと、今すぐ自分のところへ戻ってくるようにと言ってもらいたさに私がそう主張しているのだと信じてしまったであろうから。そんなあいだにも、私をしてこんなふうに彼女と離れ離れの状態に自分を押しこめるのを容易にしたのは(どんなに口では反対のことを言おうとも、私が彼女に会いにゆかないのは、何か差支えができたからでもからだの具合が悪いからでもなくて、私がそうしたいからであるということを彼女にはっきりと悟らせるために)、ジルベルトが留守になり、だれか女の友だちといっしょに外出して夕食に帰らないことがあらかじめ分かっているたびごとに、私がスワン夫人に会いにいったことだった(スワン夫人は私にとって、その娘に会うのが容易でなかった時期のスワン夫人にふたたびもどっていたが、その当時は娘がシャンゼリゼに来ない日になると、私はきまってアカシヤ大通りに散歩に行ったものであった)。こんなふうにすれば、私はジルベルトの噂を聞くことができるだろうし、また彼女もかならずやあとで私の噂を耳にするだろう、それも私がちっとも彼女に執着していないのを示すような形で耳にするだろう。それに私は、苦しんでいる人たちならみなそうであるように、自分の悲しい状況が実はもっとひどいものになっていたかもしれないと考えていたのである。というのも、ジルベルトの住んでいる家に自由に入りこむことのできる私は、この権利をけっして行使すまいと心に決めていたにもかかわらず、もし自分の苦悩があまりはげしくなるときがあればいつでもその苦悩を停止できるのだと自分に言いきかせていたからだ。私の不幸はその日かぎりのものにすぎなかった。いや、それすら言いすぎである。ジルベルトがきっといつかよこすであろうと思われる手紙、ことによると彼女が自分で持ってくるかもしれない手紙を(今では、二人が仲違いした直後の、まだ私がふたたびスワン家に足を向けるようにならない数週間のような胸をしめつける不安な期待など抱くことなしに)私はいったい一時間に何度暗唱したことだろう! こうした空想の幸福をたえず思い描いていたことが、現実の幸福の崩壊を支えるのに役立った。われわれを愛してくれない女たちの場合も「行方不明者」と同様で、もうなにも希望がないと分かってもやはり人は期待を変えずにはいられないものである。人は待ちかまえ、耳をすまして日を送る。息子を危険の多い探検の航海へと旅立たせた母親たちは、息子が死んだという確報をずっと前にもらっていても、奇跡的に息子が助かって、しかも元気で、今にも帰ってきはしまいかと、二六時中想像しているのである。そしてこの期待は、思い出の強弱や身体の諸器官の抵抗力しだいで、そうした母親たちに幾多の歳月を過ごさせたあげくに彼女らを息子の不在に堪えられるようにしたり、また少しずつ息子のことを忘れて長生きさせることもあるかと思うと――あるいはまた彼女らの死を招くこともあるものなのだ。他方私の苦しみは、それが自分の恋愛に役立っているという思いでいくぶん慰められた。ジルベルトと顔を合わせずにスワン夫人を訪ねるのはつらいことだったが、そうした訪問をするたびに、それだけジルベルトの私に対する気持を好転させているように感じたからである。
 それにスワン夫人のもとを訪れる前に、私がいつも間違いなく娘が不在であるのをたしかめたのは、彼女と仲違いをする決心のためでもあるが、それと同じくらいに和解の希望のためでもあって、その希望が彼女をあきらめようという意志の上におおいかぶさり、そうした意志の持っているあまりに残酷なところを私の目から隠していたのである(人間の魂においては、絶対的なものはごくまれであり、少なくともたえず絶対的でありつづけるものはほとんどないのであって、その魂の法則の一つ、さまざまな思い出が不意に押し寄せてくるので鍛えあげられた法則は、間歇的ということなのである)。この和解の希望、それが空想的なところを持っているのは私にもよく分かっていた。私はまるで、涙まじりにパンをかじっている貧乏人が、ことによるともうじきどこかの見知らぬ人から全財産をゆずられるかもしれないと自分に言い聞かせて、涙を乾かしているようなものであった。われわれはだれしも現実を堪えられるものにするために、自分の心に若干のささやかな狂気を培うことを余儀なくされる。ところで私がジルベルトに会わなければ――別れがうまく実現すると同時に――私の希望もそっくりそのままの形で残されるのであった。逆にもしも彼女の母親のところでばったり向かいあってしまったら、ことによると二人は取り返しのつかない言葉を交わしたかもしれないし、その言葉が二人の仲違いを決定的にし、私の希望の息の根を止めるとともに、一方では新たな不安を作りだして私の愛情を呼びさまし、あきらめをいっそう困難なものにしたかもしれないのである。
 スワン夫人はずっと以前から、私が彼女の娘と仲違いをするよりもはるかに前から、こう言っていた、「ジルベルトに会いに来てくださるのはとても嬉しいけれど、でもときにはこのわたしのためにも来ていただきたいわ。シューフルーリーの日はお客があまりいっぱいでうんざりなさるでしょうから、別の日にいらっしゃいな。少しおそい時間ならいつも家におりますわ」したがってスワン夫人に会いにゆく私は、かつて彼女の口から表現された願いに、ずいぶん後になってようやく従っているように見えたであろう。そしてもう日もしっかり暮れて、両親がほとんど食卓につくくらいのごくおそい時刻に、私はスワン夫人訪問に出かけるのであったが、その訪問のあいだじゅうジルベルトに会わないことは分かっているのに、そのくせジルベルトのことばかりを考えてしまいそうであった。当時のパリは今よりも暗くて、中心部でも公道に街灯はついていなかったし、まして電気の引かれている家は数えるほどしかなかった上に、この界隈はへんぴなところとみなされていて、一階ないしはごく低い中二階にあるサロン(たとえばいつもスワン夫人がお客をした部屋)のランプだけが道を照らしており、それが通りがかりの人の目を上げさせるのであった。通行人は門の前に数台の立派な箱馬車がつながれている原因を、すぐ目にはつくが内側をうかがうことのできないこのランプの光に結びつける。そして箱馬車の一台が動きだすのに気がつくと、通行人はこのうかがい知れぬ原因の内部になにか変化が起こったのだと思って、ある種の感動を禁じることができないのだ。けれどもそれは馬が風邪をひくのを心配した馭者が、ときどき馬に行ったり来たりさせているにすぎないのであって、音のしないゴムタイヤの静けさを背景に、ひづめの響きがひときわはっきりと浮かびあがるので、それだけこの動きは心を打つものになっているのだった。
 この時代にはどこの通りに行っても、よほど歩道よりせり上がった家ででもないかぎり、通行人はたいてい「冬の花園」のしつらえられているのを目にしたものだが、そうした光景も今ではP・J・スタールのお年玉用の書物のなかの版画で見られるだけである。今日のルイ十六世式サロンでは飾りの花がごく少ないけれども――一輪のバラか日本のショウブくらいで、それを活けた首の長いクリスタルの花瓶には、これ以上はもう一本の花も入らないであろう――それと対照的にこうした版画を見ると、当時の室内にはあふれんばかりの植物がおかれており、しかもその活け方はおよそ様式を無視したもので、一家の主婦が部屋のなかの装飾の品物を冷静に按配したというよりは、植物学に対するなにか生きたこまやかな情熱がしからしめたもののように思われるのである。当時の邸宅に見られたこの「冬の花園」は、あたかも元日の朝、新年の贈り物に混じってつけっ放しのランプの下におかれている可愛らしい携帯温室――というのも子供たちは、あたりが明るくなるまでおとなしく贈り物を待っていられないからだが――贈り物のなかでも最も美しく、これから手入れすることのできる植物で冬枯れを慰めてくれるあの携帯温室を、拡大したもののように思われるのであった。いや、「冬の花園」がこうした携帯温室以上に似ていたのは、その携帯温室のすぐそばに見出されるもう一つの温室、これも新年の贈り物である美しい本のなかに描かれた温室で、それは子供たちではなくてその本の女主人公であるマドモワゼル・リリーに与えられたものなのだが、子供たちはすっかりそれに魅せられてしまったので、今では老人になったその子供たちも、こうした過ぎ去った幸福の歳月において、冬こそ一番素晴らしい季節だったのではないかと考えるのである。さらにこの「冬の花園」に枝をのばしているさまざまな種類の植物は、通りから見える明かりのついた窓を、まるで例の子供用の温室のガラスそっくりに、挿絵にあった温室か、あるいは本物の携帯温室のガラスとそっくりのものにしていた。そして爪先立った通行人の目には、植物を通して奥の方に、たいていフロックコートを着た一人の男の姿が見え、その男は一輪のクチナシカーネーションをボタンホールに挿して、椅子にかけた婦人の前に立っているのであるが、この二人はまるでトパーズに沈み彫りにされた二つの形のように、当時輸入されたばかりだったサモワールのために琥珀色にけむるサロンの空気の奥にぼんやり浮かんでいるのだった――そのサモワールの湯気は今もたぶん立ち昇っているのだろうが、習慣のおかげでもはや振り向く者もないだろう。スワン夫人はこの「お茶」をとても重視していた。彼女はだれか男に向かって、「少しおそい時間なら毎日うちにおりますわ。どうぞお茶を飲みにいらしてね」と言うのが、独創性を示してもいれば魅力を発散してもいると思っていたから、そのときだけ英語のアクセントを混じえて発音されるこれらの語に、微妙で甘いほほえみを添えるのであったが、そのとき彼女の話し相手は、まるでその言葉がなにか重要で独特なもので、敬意を求め注意をうながしているかのように、それを拝聴しながらしかつめらしく彼女にお辞儀をするのであった。スワン夫人のサロンの中では、花々がただ単に装飾的性質を持っているだけではなかったが、そこには以上に述べたことのほかにもう一つ別の理由があって、それは時代からくるのではなく、部分的にはかつてオデットが送っていた生活からきたものであった。以前の彼女のような押しも押されもせぬ高級娼婦ともなれば、大部分の時間をその愛人のために過ごしており、すなわち自分の家にいることが多く、したがって結局は自分の好きなように暮らしを営むものである。堅気な女の家で人の見かける品物、きっとその堅気な女にも大切に見えると思われるもの、そうしたものをこうした高級娼婦はきまってなによりも大切にしている。彼女の一日の頂点をなしているのは、社交界の人びとのためにめかしこんで着物を着るときではなくて、一人の男のために着物を脱ぐ瞬間である。だから彼女の場合は外出着と同様に、部屋着を羽織っても寝巻きを着てもエレガントでなければならない。ほかの女たちなら、宝石を見せびらかす。ところが彼女はどうかといえば、真珠を肌から離すことがないのだ。こうした類いの生活は、否応なしに、ひそかなぜいたくを、つまりほとんど利害を離れたぜいたくを、義務として押しつけるものであり、ついにはそうしたぜいたくを好む気持を与えてしまうものである。スワン夫人はそれを花にまで拡大したのであった。彼女の肘掛椅子のかたわらには、いつも大きなクリスタルの水盤があって、そこには摘みとられたパルムスミレとヒナギクが水のなかに一面に浮いているのであったが、外からやって来た者にはまるでスワン夫人がひとりで楽しみながら飲んでいた一杯の紅茶のように、この水盤はなにか彼女の気に入りの用事が中断されたことを示しているように見えるのであった。いや、それは紅茶よりもさらに内密でさらに不思議な用事であり、だからそこに広げられた花を見た者は、自分の非礼を詫びたくもなるのであった。ちょうどオデットが最近読んでいるもの、つまりそれが現在の彼女の思想ということになるのかもしれないが、そうしたものを暴露してしまう開けられたままの書物の標題を、つい見てしまったのを詫びるように。そのうえ書物以上に、花は生きものであった。おかげでスワン夫人を訪問しにきた者は、彼女に連れがいるのに気づいて具合の悪い思いをする。あるいはまた彼女といっしょに帰ってきた者は、サロンにだれかの気配がするので気づまりになるのであった。それほどに、オデットを訪れる人たちのために準備されたわけではないこれらの花、むしろ彼女に忘れ去られたようなこの花は、そこに謎のような場所を占め、一家の女主人の生活のさまざまな時刻と結びついているので、今までその花が女主人となにか訳のある話をつづけてきたか、あるいはこれからそうした話をしようとしているかのように見えて、入ってきたものはその邪魔をするのをおそれるとともに、パルムスミレの水に薄められたあいまいな薄紫色を眺めながら、その話の秘密を読みとろうと空しく試みるのであった。十月の終わりからオデットは、そのころまだfive o'clock teaと呼ばれていたお茶の時間に間に合うように、できるだけ正確に帰宅するようになった。ヴェルデュラン夫人がサロンを開いたのは、みながかならず同一時刻に家で彼女に会うことができるようになるからだということを、人伝てに聞いたからである(また、そのことをオデットは好んで繰り返したのであった)。彼女は同じような種類のサロンを、ただしもっと自由なサロンを持った自分を空想した。これはsenza rigore(無礼講)よ、と彼女は好んで口にしたものである。こうして彼女は自分を一種のレスピナス嬢のようにみなし、小グループのデュ・デファン派からとびきり感じのいい連中を引き抜いて、ライヴァルのサロンを創立したのだと思いこんでいた。とりわけスワンは、彼女がグループと別れて引きこもるのに従って身をひいたのだといわれていたが、彼女の過去を知らない新顔連中にこの解釈を信じこませることには成功しても、彼女自身の心はなかなかそれを信じないであろうと思われた。もっともわれわれは気に入った役割を何度も人前で演じたり、心に繰り返したりするうちに、ほぼ完全に忘れ去った現実よりも、そうした役割のもたらす虚構の証言に頼るほうが容易になるものだ。スワン夫人が一日中家にこもりきりのときには、初雪のように純白なクレープ・デ・シンの部屋着に身を包んだ彼女を見かけるのであり、ときにはまた彼女がひだをとったシルク・モスリンの筒型ガウンを着ていることもあったが、バラ色と白の花片をまきちらしたようなこの部屋着は、今日だったら冬向きでないもの、まるで見当違いのものとみなされたことであろう。というのも、こうした軽やかな生地とやわらかい色彩とは、厚いカーテンがドアの前に張りめぐらされて室内にすっかり熱を閉じこめていた当時のサロンのなかで――その時代の社交的な小説家たちがこうしたサロンを描写するのに見出した最も優雅な表現は、「ふんわりしたクッションのような」というのであった――それを身につけているご婦人に、かたわらのバラと同じようにいかにも寒そうな風情を与えていたからであって、そのバラも冬だというのにまるで春同様に、鮮やかな赤い肌をあらわにしているのだった。絨毯のために足音は消されてしまうし、一家の女主人は奥まったところに引きこもっていて、今日のように客の来訪を告げられることもないので、彼女は客がもうほとんど目の前にやって来るまで読書をつづけているのであったが、そういったことが小説的な印象を強め、他人の秘密を見てしまったときに覚えるような魅力を増大させているのであった。そうした印象や魅力を、現在のわれわれは部屋着を思い出すときにふたたび見出すのであるが、その部屋着は当時でもすでに流行遅れになっていたもので、たぶんそれをまだ見棄てていなかったのはスワン夫人だけという有様だったから、それを身にまとう婦人は小説のヒロインにちがいないと思われたのであった。なぜならわれわれのなかの大部分の者は、そうした部屋着にアンリー・グレヴィルのある種の小説のなかでしかお目にかからなかったからである。今ではオデットは、冬の初めになると、サロンにさまざまな色の大輪のキクを飾るのであったが、それは以前にスワンが彼女の宅で見ることのできなかったようなキクであった。私がスワン夫人に対してあの悲しい訪問をするようなとき――翌日になると彼女がジルベルトに、「昨日はあなたのお友だちが私を訪ねてきてくださったのよ」と告げるだろうと思うと、私は自分の苦しみを通して彼女にジルベルトの母親としてのいっさいの神秘的な詩情を見出すのであったが――そうしたときに私がこのキクの花に覚える賛美の気持は、スワン夫人のサロンの肘掛椅子のルイ十五世ふうの絹のような淡いバラ色や、彼女のクレープ・デ・シンの部屋着にも似た雪のような純白や、あるいは彼女のサモワールのように金属的な赤い色をしたこれらキクの花が、サロンの装飾の上に同じように豊かで洗練された色合いの装飾をもう一つ余分に重ねており、しかもそれがわずか数日の命しかない生きた装飾であるということに由来していたのであろう。けれども私が感動したのは、これらキクの花が、それと同じようなバラ色やあかがね色の空、十一月の午後も暮れる夕靄のなかに沈む太陽によって華々しくかきたてられたあの空の色調に比べると、それほどつかのまに移ろいもせず、むしろ比較的長続きするためであり、スワン夫人の家に入る前に認めた夕焼けが空ではもう消えかかっているのに、それが燃えるような花のパレットに移し変えられて今なおつづいているのをふたたび見出すためであった。さながら一人の偉大な色彩派の画家が、不安定な大気と太陽から炎を引き離して、それで人の住居を飾るように、これらのキクの花は私の覚える深い悲しみなどお構いなしに、せめてお茶の時間のあいだだけはたちまち過ぎゆく十一月の快楽をむさぼるようにと誘いながら、その快楽の、親しげなうちにも謎めいたところのある輝きを私のかたわらで燃えあがらせるのであった。残念なことに、私の耳にはいる会話の中では、その輝きに到達することは不可能だった。そんな輝きとはかけ離れた会話だったからである。コタール婦人に対してすら、また時刻がもうだいぶおそくなっているというのに、スワン夫人はすっかり愛想をふりまいて言うのだった、「だめですってば、まだおそくはありませんわ。時計なんかご覧になっちゃだめよ。そんな時間じゃありませんもの。この時計、調子が悪いんですのよ。でも、なんのご用でそんなにお急ぎになりますの?」そして彼女は、名刺入れを手に持ったままの教授夫人に、もう一つタルトレットをすすめるのであった。
「このお宅からは容易にぬけ出せませんわ」とボンタン夫人はスワン夫人に言う。するとコタール夫人は自分自身の感じたことが他人の口から言われるのを聞いて、びっくりして叫ぶのだった、「まあどうでしょう、つまらない頭ですけれど、わたしがかねがね心のなかで申しておりますのもそのことでございますのよ!」このコタール夫人は大いにジョッキー・クラブの人々に受けたのであって、スワン夫人が可愛げもないこのプチ・ブルジョワの婦人に彼らを紹介したとき、彼らはまるでたいそうな名誉に浴するかのようにぺこぺこしたものであったが、そのわけは、オデットのまぶしいばかりの友人たちを前にしたとき、彼女の言う「守勢」にまわったのではないにしても、すっかり控え目になったコタール夫人は、およそ簡単なことにもかならず上品な言葉を使うようになるからであった。「いったいどうしたのかしら、これでもう三度も水曜日をあなたにすっぽかされてるのよ」とスワン夫人はコタール夫人に言うのであった。「本当だわ、オデットさん、あなたにお会いするのは、これが何百年ぶり、何千年ぶりかしら。わたし、自分の罪は認めますわ。でも、申し上げなくちゃなりませんけど」と彼女は恥ずかしそうなあいまいな様子でつけ加える(なぜなら、医者の細君のくせに、彼女はリューマチだの腎疝痛だののことになると、遠まわしにしか話せなかったからである)、「いろいろと、つまらない災難がごっざいましてね。いえ、どなたもそれぞれご自分の災難をお持ちですけれど。おまけに、宅におります男の使用人に変動がありましたの。べつに他人様以上に主人顔をしているわけではございませんけれど、でもほかの使用人の手前、宅の料理人に暇を出さなければなりませんでしたのよ。それでなくてもどうやらもっと実入りのいい地位を探していたらしいんですの。ところがこの人が出てゆきますと、あやうく内閣総辞職になるところでしたわ。小間使いにもお暇をいただくと申しましてね、ホメロス的な大さわぎになりましたの。それでもわたし、舵はしっかり握っておりましたわ。本当にいい薬でした。金輪際これを無駄にはいたしませんもの。まあどうでしょう、こんな召使いの話なんかして、あきあきしてらっしゃいましょうね。でも、ご存じのように、使用人の再編成に手をつけなければならないのは、とても面倒なことですわ。ところで、お宅の素敵なお嬢さまにはお目にかかれませんの?」と彼女はたずねるのであった。――「だめなのよ、うちの素敵なお嬢さまは友だちの家の晩餐によばれてましてね」とスワン夫人は答えると、私の方を向いてつけ加えた、「たしかジルベルトは、明日おいでくださいってあなたにお手紙をさしあげましたわね。ところで、お宅のベービーちゃんたちは?」と、彼女はまたも医者の細君に向かってたずねるのであった。私はほっと息をつく。いつでも好きなときにジルベルトに会えることを証明するスワン夫人のこの言葉は、慰めを与えてくれたが、まさにその慰めこそ私がそこに求めにきたものであり、またそれがこの当時スワン夫人訪問を私にとってたいそう必要なものにしていたのであった。「いいえ、今晩ぼくの方から手紙を書きますよ。それにジルベルトとぼくはもう会えないことになっているんです」と私は、二人が別れた原因を訳の分からないものにする振りをしながらつけ加えるのであったが、そうしているうちに二人が依然として愛しあっているような錯覚が生まれ、その錯覚はまた、私とジルベルトが互いに愛情をこめて相手の噂をすることによって培われるのであった。「あの子はあなたのことがとても好きなんですよ」とスワン夫人は言う、「本当に明日はおいでになりたくないの?」そのとたんにある喜びが私を突きあげ、私はこうひとりごちていた、「それにしても来てまずいことはないだろう。ジルベルトのお母さんがしきりに来いと言ってくれてるんだから」だがたちまち私は悲しみに落ちこむのであった。ジルベルトは私の顔を見ると、最近の素っ気なさは嘘だったのだと思うのではないか。それが心配で、私はまだ当分別れたままでいようと思い直すのだった。

 ジルベルトとの関係は、少しも好転しない。そのくせ彼女に会わないことからもたらされる苦痛も、少しずつ弱まってゆく。それでも、一度は和解の計画をたてて、彼女に贈り物をしようと考えるが、そう思った矢先に、シャンゼリゼ通りを若い男と歩いてゆくジルベルトの姿を認め、その気持も挫けてしまう。
 娘のかわりにひんぱんに会うことになったスワン夫人は、以前より若返って、彼女特有の「美の種類」を発見したように見える。日曜日になると、彼女は入念に身づくろいをして、ボワ・ド・ブーローニュ通りの散歩に出かけるのだが、語り手も時間を見はからって同じ通りに行き、いっしょにしばしの散歩を楽しむのである。
 第二部「土地の名・土地」はそれから二年ほどたって、ジルベルトに対してほぼ完全な無関心に到達した時期に当たる。題名が第一篇第三部「土地の名・名」に対応することは言うまでもない。名前の呼びおこす想像の土地に対して、現実の土地が舞台になる。
 語り手は、祖母と二人だけで、ノルマンディのバルベックに滞在することになる。二人をのせた汽車が、明け方、とある小駅に停まったとき、語り手は一つの経験をするのだが、それはこの少年の豊かでみずみずしい官能を示すものであるだろう。

暁を彩る牛乳売りの娘